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【生活】(なるべく)後悔しない意思決定をするコツ

少し前だが、twitterを見ていたら、こんなtweetが流れてきた

 住む街(土地)として福岡(九州)はめちゃくちゃ気に入っているので、覚悟決めて根を下ろすか、結婚後の生活(特に子育て)を求めて親類の多い関東に戻るか、ず〜〜っと悩んでいる。

 僕も福岡は出張や旅行で行ったことのある程度だが、確かに素晴らしい街で、移住者であっても気に入って根を下ろしたくなる気持ちはよくわかる。同じぐらい素晴らしい街だと札幌が思い浮かぶが、札幌は気候が東京とはかなり違うので、そこに馴染めないと辛そうだが、福岡の場合は気候も温暖だ。

このような決断は人生では何度か訪れる。福岡は素晴らしい街ではあるものの、東京はやはり日本の中心として認識されているため、東京で生まれ育った人間が福岡で根を下ろすと聞くと、東京至上主義者などは「なんで?」という反応をするかもしれない。

tweet者が迷っているのは、将来のことがよくわからず、自分の意思決定が将来にどう影響するかわからないからだ。彼がどう決断するのが正解なのかは誰にもわからないが、「後悔しないために」という観点なら、一つの考え方があると思う。

(なるべく)後悔しない意思決定をするコツ

自分はこういう決断で結構ミスってきた方だが、個人的な経験から言えることは、将来の不安を重視して実行する決断は大体ミスるので、「今どうしたいか」で決めた方がいいと思う。なぜなら将来は予測することができないからである。

僕もキャリアの中で、グループ会社に出向したことがあり、そのグループ会社での業務はめちゃくちゃハードであったものの、元の会社よりやりがいがあり、楽しかったため、もう少し続けたい気持ちがあったし、実際に慰留もされた。しかし結局元の会社に戻ってしまった?なぜか。

仕事がハードだからということもあるが、そのグループ会社は昇進が厳しかったために、いつまでもその会社で生き残れるかわからなかったからだ。それにビビって残るのをやめた。

当時は30代半ばであれから数年立って思うのだが、もしその時にグループ会社での業務を続けたいと思うなら、とりあえず続けておけばよかったということである。もちろん戻ってからの元の会社でもよい経験はできたのだが、昇進できないならできないで、できなかった時に考えればよかったはずである。

この意思決定が結果的に良かったかどうかはともかく、理論的に正しくないと思うのは、将来起きるかもしれないBadな事態はあくまでもリスクに過ぎず、起きるかどうかはわからないのに、「残って業務を続けたい」という今そこに確実に存在している自分の気持ちより、無条件に優先してしまっている点だ。

理論的には、想定されるBadな事態が起きた時に発生しうる損害に対して、その発生確率や起きた時の対処可能性を考えて、業務を続けることによって得られる経験や楽しさを比べるという思考プロセスをとらなかった。直感に頼って不安を優先したのである。

たとえば先のtweet者だって、結婚するか、子供ができるかどうかもわからないし、それらが実現したとして、親類が多い地域の方が子育てに絶対に有利かどうかもわからないし、とにかく不確定要素が多すぎるため、それらを意思決定の重要な考慮要素としては入れるべきではないようにも見える。

「本当はAがやりたいけど、将来の事を考えるとAをやり続けるのは不安だから、リスクの少なそうなBにしよう」というジャッジは安全ではあるが、人生の満足度や幸福度の上昇にはつながらないことが多い。なぜなら結局我々は将来のリスクなんて正確に判定することができないからである。それが見えてないのに、漠然とした不安に負けて、今そこに確実にある自分の気持ちに逆らうと結局は後悔してしまう。

将来に漠然としたリスクを感じた場合に、その行動を避けるのは、おそらく環境適応的で、そのような個体のほうが子孫を残すことができたから、生存競争に勝ち残った我々は不安を感じやすい個体なのだろう。しかし、昔と違って、今は判断のミスやリスクの過小評価があっても、直ちに命を落とさないレベルまで社会が安定化している。そのような社会で生きる場合に、リスクを過大評価しがちな個体である我々は、そのバイアスを修正する必要はないだろうか。

もちろんケースバイケースではあるが、自分の経験からは、将来の漠然とした不安は概ねが自らの生存本能による過大評価バグで、自分の「挑戦したい」という気持ちに準じた方が結果としてうまくいくことが多いと思う。